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Column

広告やメディアは、ヒトを幸せにする


フェイク・ニュース(fake news)、ポスト・トゥルース(post truth)、オルタナティブ・ファクト(alternative fact)。

 

いま、メディアの信頼性が揺らいでいます。
そして、メディアの上に載せる広告も、その欠陥を指摘されることが増えました。

 

たとえば、アド・フラウド(ad fraud)、ビューアビリティ(viewability)、アド・ベリフィケーション(ad verification)、ノン・ヒューマン・トラフィック(non human traffic)、アド・ブロッキング(ad blocking)などなど。これらは主にネット広告の信頼性が揺らいでいることに関連する業界用語です。

 

さらに、労務問題など世間を賑わせているさまざまな事件の影響で、広告業界やメディア業界ではパワハラやセクハラが日常的であるという印象を持っている人も増えているようです。個人的にも、知人や家族から心配されることも増えました。

 

このような状況に心を痛めている人は多いと思います。私自身、広告やメディアに関わる仕事をする一人として、とても残念に思っています。できれば、なんとかならないか、と日頃から思っています。

 

そもそも、私は、広告やメディアはヒトを幸せにするものだと思っています。広告やメディアは、社会になくてはならない、重要なものであると考えています。そのことについては、以前、Unyoo.jp というメディアで「広告はヒトを幸せにするものだ」というコラムを書いたことがあります。私の考えはいまでも変わっていないので、あえて、同じ文章を再掲したいと思います。

 

 


 

広告はヒトを幸せにするものだ。いきなりですが、私はそう思っています。

 

私は、万物を編集してヒトと情報を繋ぐことが自分の仕事だと思っています。編集とはそもそもコンテンツを配置し、導線を引くこと。そして、様々な意味で「出会い」を作り出す

 

たとえば、検索連動型広告は、検索結果に広告を表示し、広告主のサイトに配置されたコンテンツに導線を引いています。
私自身は検索連動型広告をはじめとするデジタル広告に関わる仕事を主にしてきましたが、コンテンツを配置し導線を引く、そして、様々な意味で「出会い」を作り出すというのは、テレビCMなどのマス広告についても本質的には同じものだと思っています。

 

そして、万物を編集してヒトと情報を繋ぐことで、ヒトは夢や希望を持つ契機を得ると私は思っています。

 

たとえば、エジソンの伝記本を読んでエジソンみたいになりたいと思ったり、イチローの活躍をTVで見てメジャーリーガーになりたいと夢をもちます。
情報を得て、知識を得て、そこから将来の自分を形作るヒントを得ていると思うのです。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、映画、インターネット/ITなどを通じて、ヒトは主に情報を得ています。
このメディアやコミュニケーションの業界は、広告で支えられています。

 

それは、言い換えれば、広告が情報を得たり、知識を得たりする社会装置や文化を支えているといっていい。

 

ということは、広告は、ヒトが夢や希望を持つ契機を与えていると思うのです。
そうです、広告はヒトを幸せにするものだと思うのです。
それは、とても価値あることだと思うのです。

 

その広告業界を支えているのは、
日本では主に、電通、博報堂、ADKや、サイバーエージェント、オプト、セプテーニなどなどの、広告代理店です。
私は、このビジネスは、ヒトを幸せにするとても価値あるものだと思っています。

 

メディアやコミュニケーションの業界、つまりは、情報産業の、縁の下の力持ちとして、まず、広告はとても価値があると思っています。
しかし、縁の下の力持ちであるだけではなくて、そもそも、広告そのものも、ひとつのメディアであり、情報です。その広告そのものも、それ自体で、ヒトを幸せにする力を持っていると思っています。
面白い広告もあれば、役に立つ広告もある。感動する広告もあれば、嫌な気分になる広告もある。泣いてしまう広告もあったりします。
そのすべてが情報であり、広告それ自体がヒトを幸せにするものだと思っています。

 

少し視点が変わりますが、広告は、その経済的役割からみても、ヒトを幸せにするものだと思っています。
たとえば、あなたがスターバックスでトールサイズのドリップコーヒー1杯を買ったとします。値段は320円です。
この320円はひとまず、スターバックスのレジに収まります。
しかし、この320円は、このコーヒー1杯という消費行動を出発点として、世界中を巡っていくことになります。比喩的な表現ではなく、文字通り、世界中を駆け巡ることになります。

 

たとえば、この320円は、コーヒー豆を仕入れるために使われるでしょう。スターバックスのウェブサイトによるとアラビカ種コーヒー豆を使用しているとのことです。この豆は、おそらく、原産地から輸入されていると思います。もともとはエチオピアらしいですが、ブラジルなど世界各地で生産されている豆のようです。そのため、世界各地のアラビカ種コーヒー豆を生産する人たちの収入になっている可能性があります。もちろん、この豆を販売する販売店の人たちの収入にもなっています。豆を船や飛行機で輸送しているとすれば、船舶会社や航空会社の人たちの収入にもなっています。
また、この320円は、コーヒーの紙カップを製造している人たちの収入にもなっているでしょう。さらに、この紙カップに印刷されているロゴをデザインした人、あるいは、印刷している印刷会社の人たちなども関わっています。
もちろん、スターバックスの社員の給料にもなるでしょうし、アルバイトしている人のアルバイト代にもなっています。

 

このように考えていくと、コーヒー1杯の320円というお金は、まさに、無限に世界各地を巡っていくことになります。この世界中をお金が巡っていくことによって、人の営みである経済は成り立っています。経済とは、人と人の間をお金が巡っていくこで成り立っているのです。この循環が悪くなりお金の流れが滞ってしまうと、経済がうまくいかなくなって不幸になる人たちが出てくるのです。この循環に思いを巡らすと、このコーヒー1杯という消費行動は非常に重要な行為だということが分かります。

 

さて、あなたは、なぜ、このコーヒー1杯を購入したのでしょうか。
コーヒーを飲みたい気分だったから?おそらく、そうでしょう。ただ、コーヒーを飲みたい気分だったとしても、どこにスターバックスの店舗があるか分からなければ、スターバックスでドリップコーヒーを買うことはできないでしょう。そうすると、このコーヒー1杯を購入するためには、スターバックスがどこにあるかを示してくれるものが必要になりますよね。

 

そうです、それは、スターバックスの看板です。
スターバックスの看板がなければ、初めていくスターバックスの場所は分からないと思います。この看板は、広告の一種ですよね。広告が、このコーヒー1杯という消費行動のきっかけを与えているのです。
そして、その広告をきっかけとして、世界中を巡っていくお金の循環が始まっています
これは、広い意味で、バリューチェーン(Value Chain)と呼んでよいものだと思います。バリューチェーン、つまり、価値の連鎖です。
広告が起点となってバリューチェーンが始まるのです。広告が起点となって、コーヒーというコンテンツをヒトと結びつけてくれます。

 

バリューチェーンは、ある意味で、無限に広がっていきます。そして、その連鎖のなかのどのクサリ(鎖)も等しく大事なものであると私は思っています。どれも等しく大事なものだと思ってはいるのですが、そのなかでも、このバリューチェーンの起点となる広告の役割は、それが起点であるからこそ、とても大事なものだと私は感じています。この起点があるからこそ、お金の循環が始まって経済がうまく回って、結果的に、ヒトが幸せになれるのではないか。そう感じているのです。

 

広告は、ヒトのニーズとそれに応じる情報やコンテンツを結びつけてくれます。
そして、さらに、バリューチェーンの起点としても機能しています。

そうです、広告はヒトを幸せにするものだと思うのです。



このコラムを再度掲載したのは、「新しい電通総研に関するリリース」が出たからです。

 

私は今回、2018年1月から、この電通総研に「カウンセル兼フェロー」として関わっていくことになりました。

 

電通総研は、その新しいビジョンの中で「良い社会づくりに貢献します」と謳っています。この電通総研の活動が、社会に対してどれほどの影響を与えられるのか?どちらかといえば、最近の広告業界の状況から考えると、「良い社会づくりに貢献します」というのは、荷が重いのかもしれません。

 

ただ、私は思うのです。
業界やテクノロジーがどのように変化しようとも、「広告やメディアは、ヒトを幸せにするものだ」と。

 

今回の新しい電通総研では当面、「メディアの信頼性」と「人口減少社会におけるマーケティング」の大きく2つを研究テーマに掲げています。私は、この電通総研の活動やその他のクライアント業務などを通じて、微力だとは思いますが、少しでも世の中の役に立てるような仕事ができればと思っています。

 

まぁ、自己満足かもしれませんが、できる限りのことはしたいのです。その結果、私自身も、そして、広告やメディアに接触する多くの人が少しでも幸せになってくれれば。

私の小さな願いです。

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